ここずっとしている仕事の内容がハードで、なかなかすっと寝られず困ってます。
夜になると怖くておちつきませぬ。
ツイッターであるギャラリストをフォローしていて
「楽しめるアートではなく 社会の改善に繋がるギャラリーになりたい」と書いていて
む~と考えたりしてしまいます。
もちろん表現は色々あって当たり前なのだから
それはそれ、これはこれで様々なのですけれども
楽しさを軽く扱う風潮がある様な気がしてならないです。
楽しさのあとに何も残らないってホントかな。
楽しさが心に訴えるものが無いってホントだろうか。
明るさに、救われた事ってない??
作ってさえいれば、考える必要もないのかもしれない。
イチイチ、そういう存在定義なんて考えてる場合でもないのかもしれないけど
まだ青いわたしは、たまにこうして考えちゃうんです。
楽しさを生み出すにも苦労はある。だからなんなんでしょう。
苦労なんて知ってもらわなくてもいい。
ただし、「楽しさ」自体は決して浅いものじゃないってこと。
私の作るものは徹底した娯楽でいいと思ってます。
生活の中にあるタバコとかチョコレートとか、そのような立場のものを作りたい。
前個展した時、
手がたくさん伸びてる版画を展示してて、
それが気に入ったといい、開催期間中毎日来てくれる女性がいた。
あるとき、大きな荷物背負ってその人がまたやって来たんだけど
ボロボロ泣いていてなんか必死に祈ってる。
一時間くらいその版画の前にいたと思う。
ギャラリーも空いてたので、椅子を出してしばらくそっとしておいてやり
「ありがとう、とても気持ちが楽になった」といって、女性は帰っていきました。
そういうこともありました。
絵は出来上がり人目に触れた途端独り歩きしだして
作者の意図なんか軽く飛び越えてしまう。
そういうものだと思うんだけどどうなんでしょう。
社会的な革命を起こせるかっていったらそんなのわからないですし
私のやる事はアートとも芸術とも呼ばれないものなのでしょう。いいかぁ、呼ばれなくても。
でも軽いものでもない。
楽しさから変わっていく部分もあるはずです。